内定をもらったよ

 
正確には昨日のことなんですが、東京のとあるITの会社から内定をもらった。
 
いやー、うれしいねー。
何がうれしいって、もう就活とかいうイベントをいつでもやめられる状態になったんだよ。
 
多分一般的な「内定もらった喜び」って目指していた企業から内定を貰えたとかなのかな。周りを見てるとそんな印象を受ける。内定持ってるけど、そこはショボいから行かないでデカイとこの内定とれるまで頑張るよみたいな。それで見事に第一志望の企業の内定GETしたときの喜びや達成感は何事にも変えがたいものだと思う。だって、そこに向けてかけてきた様々な努力が「内定」という結果になって現れたものだから。
 
でも、僕はひねくれた性格なのか、就活に対してエネルギーを注ぐことができなかった。
最初の方こそ◯◯に行きたいとかあったけど、思うように進むわけもない。それに今の就活に嫌気がさしてきていつの間にか「とりあえず、社会人になっとく」という意識低い系の目標設定になっていた。
やってみて改めて、就活意味分かんないと感じた。就活というプロセスにもそこへ迎合していく周囲の雰囲気も。互いにうわべを固めて「御社が第一志望です!」とか「当社の強みは◯◯です!」とか。まあ、そこアピールしないとどうにもならないのは事実なんだけど、茶番に次ぐ茶番で"そこまでして労働したいのか?"とか考えてしまった。

 


Oasis - Cigarettes & Alcohol (Live Wembley 2008 ...

 

(突然ですが、ぼくはUK ロック周りを愛聴してます。この曲が当時のぼくの気持ちをよく表してます。Oasis再結成しないかなー)

歌詞和訳をみるといいですよ!貴方の中の反社会的精神が育ちます。

Oasis "Cigarettes And Alcohol"という名曲 | Rye Official Website

 

 

こんなことが僕の頭の中でぐるぐるしているものだから、モチベーションは上がらない。着々とニートスピリッツが育まれてしまっていた。ココに行きたいと本当に思える会社が出て来ず、とりあえずどこかに決まればいいかといった心意気だったのです。
 
就活でスーツを着てる時も、「こんなのに身を押し込めてないで、早く解放されたい」とか言っちゃっていた。(真夏に黒のスーツは着ている方も、それを見させられる方も苦痛です。後ろ倒しとか誰得だよ!)
もう、やる気あるのかって感じですね。意識無い系。
 
だから内定をもらった今は、もらう前に持っていた不安と不満をいつでも手放せる状態にある。その意味で内定が嬉しい。
 
これから説明会の予定を入れていた企業さんは取りやめることにした。条件は内定先よりいいとこだけど、正直しんどくなってしまった。だって、休みたいもん。
 
今選考が進んでいるところは受けてから終えようと思います。
やっと夏休みが見えてキターーーーーーーーーーー!
 
 

木曜日だった男-一つの悪夢 チェスタトン

 
チェスタトンは20世紀前半に著作をのこしたイギリスの作家です。
 
この人は新聞や雑誌にエッセイや書評を寄稿したりもしていて、批評家としても有名です。
 
今回はそのチェスタトンの作品『木曜日だった男』を読んだので感想とかをメモ。
 
 
どんな内容かというと、
 
ロンドン郊外で2人の詩人が出会う。1人は無政府主義を信仰する詩人グレゴリー。もう一人は法秩序の詩人サイム。
2人は意見の食い違いから口論になり別れるが、ほどなくして酒場で議論を再開することになる。
 
その酒場で自分が無政府主義者であり、無政府主義中央評議会の一員であることをサイムに明かす。そして、酒場の床が抜け無政府主義中央評議会の秘密基地へと場所が変わり、「曜日」を名乗る無政府主義者たちの世界転覆計画に巻き込まれていく...
 
 
と、すでにネタバレもしてしまった気もするけどこんな感じです。
 
読んでいて思ったのが「日曜日」の存在感が印象的だったこと。
 
評議会の議長であり、体が普通の人の何倍も大きく、評議会の他のメンバーから酷く恐れられていた。彼は組織を手中に収め牛耳っている。本人が目の前にいるならともかく、いない時でさえ日曜日によって抹殺されてしまうことを恐れていた。
日曜日本人の発言よりも周囲の日曜日を恐れる発言のほうが多かったように感じられたから、自分のなかでも全体像が見えなくてわからない分日曜日がどう動いてくるのかといったことが読んでいて楽しみでした。
 
 
次に、展開が僕の予想とは逆にいったなーという感想。
 
ラスト2,3ページのオチ(夢オチ)完全に死角でしたね。
序盤の2人の詩人が会い議論する辺りや評議会のメンバーが地下の秘密基地で会議する辺りはシリアスな海外映画のような雰囲気。なんだけど、進んでいくにつれてコメディの要素が入ってきます。そして最後にはシリアスな要素の欠片もなく評議会の面々と日曜日で追いかけっこしたり、仮面武道会に行ったりしています。こうした流れを作れるのはお見事ですよね。でも僕は終盤にかけての展開が早く一回読んだだけでは追いつけなかったです。シリアスな展開の小説なんだと思い込んで読み進めていたんでそういった展開じゃなかったのは少し残念だなぁとか感じちゃいました。
 
でも『幻想ピクニック譚』と帯で紹介されているので、そういったものとして読むのはオススメです!

www.amazon.co.jp

 
 
 
あと、訳の文章もいいです。一読の価値アリの作品でした。
 
 

採用担当者は手書きの履歴書に何を求めているのか。

僕は面接などで履歴書を求められた時には、ネットにあるフォーマットをダウンロードしてそれを使っている。パソコンで書いたほうが早いし、誤字もdeleteしちゃえば問題ない。更に僕の書いた字より3000倍も整っている。いいこと尽くしでこれを使わない手はない。

でも、手書きの履歴書というのを求めてくる企業というのはこの世の中に少なくない。説明会の会場その場で企業の用意した紙に書いていくものが多い。そういった場合は面倒臭がりの僕も納得いく。中には提出は後日なのに指定の用紙が配布されそこへ記入していくケースもある。当事者として、これは少し考えものだと思ってしまう。

履歴書に手書きを求める理由として考えられるものをあげてみた。

字はその人の性格が表れる。その時を通してその人の性格をみるため。

あえて手間がかかる手書きにすることによって、何となくエントリーしている志望度低めの層を本気の人の層と分けることができるため。


他にも色々な理由が企業によってあるとは思うけど、主にこの2点だろうか。


でも、僕は、思うんだよ。


文字から汲み取れる人柄ってなんだ???

果たして僕たちは、書いた文字からどのような性格かを想像することを普段しているだろうか。僕は少なくともそんな平安貴族みたいなことをしたことないし、そこまでの想像力も持ち合わせてない。活字に溢れた現代社会で、手書き文字に触れる機会自体多くはない。そんな普段使わないことを採用の場でやってしまって果たして採用担当者は正確に人柄を汲み取れているのだろうか。

文字から何を感じるのだろうか。丸い文字だから優しいとか、トメハネハライがキチンとしているから几帳面とかかな。でも、読みにくい文字の人でもいい人なんてたくさんいるし、字が綺麗な人でも性格がよろしくない人もたくさんいる。だから、文字からその人の人柄を見ることは難しい。

採用担当者「いやいや、綺麗か汚いかじゃなくて、丁寧に書いてるかとか字にどれだけ熱意がこもっているかが見れるんですよ。」

これも少しズレてると思う。

社会通念上相当な感覚を持ち合わせていれば、人や社会に対してみせるものに関しては、汚く書き殴ったものを書くなんてしないと思う。僕だって丁寧に書くし、綺麗な字であるようにみせる努力を少しはするよ。だから、そこから覗くことのできる丁寧さとか熱意とかも手書きであるが故につくられたものでそこから判断なんてできないと思う。

綺麗な字をだんだんキープできなくなる時もある。でもそれは何百文字も丁寧に書いた故、手や腕が少し疲れてしまっているのが原因で、そんなにたくさん書くよう仕向ける方にも問題が残されているのではないかと思うんですよ。重箱の隅をつつくようにそこを見て汚い!と判断してしまう人がいたら残念だ。


いろいろ考えたけど、文字と人柄はあんまり関係ないんじゃないかと思います。あるとしても、そこから読み取ることのできる人柄は書いたその人を構成するほんの一部でしかない可能性があるよね。
だから、僕は、履歴書はパソコンで作るし、手書きの履歴書なんてやめてくれと思うんだよねー。

そう言いつつ明日面接予定の手書きの履歴書を作ります(笑)

読者を気にしたくない僕と、読者を気にしてしまう僕

 

昨日書いた記事がWindows10をテーマにしていたからか、今日だけで40を超えるアクセスがあった。
 
今週始めたばかりで書いてもアクセスは自分で訪れた分だけで、よくて1人アクセスがあるくらいといった状況だった。まぁ最初はそんなもんかくらいに捉えていたので、今日いきなりこれだけの方に読んでいただいたという事実にひたすら驚いてます。
 
40を超えるアクセスがあったというのは小さい小さい数字かもしれないけど、まだまだこの記事が5件目ということを考えても、僕にとっては意味のある数字である。ブログを始めてすぐにこういったことを感じられるなんて思ってなかったので、こんな辺境の地にあるようなブログを訪れていただいた皆さんに感謝です!
 
アクセス数に喜ぶ一方で、数字を気にし過ぎて「自分の書きたいこと」よりかは「みんなに見せて大丈夫なこと」を書こうとしている自分がいることに気づいた。本来このブログは自分が生活の中で共有できていない考えや出来事を記して、共有できる人に読んでもらえたらなあという気持ちから生まれたもの。だから自分の思ったこと感じたことを書いていきたいと考えてる。でも、「今日は○○をした。楽しかった。」というような純粋な日記ではなくて、誰かのためになるような記事をできるだけ書いていきたい、とも考えるのである。
 
どちらか一方がもう一方を征服しないといけないという話ではないし正解なんてないと思う。自分はブログだけど日記の要素も今のところ入れていくつもりだ。でもいざ書こうとすると「こんなことを知らせる必要あるのか」と筆を止めてしまう。元々昔から引っ込み思案な気質で、周囲に合わせて言いたいこと話したいことが言い切れていないことがある。そこを解消するためのこのブログとも言えるのだけど、ここでも持ち前の気質を発揮してしまいそうだ...
 
記事の向こうで読んでくれている読者さん。読者を気にせず書いていたい僕。読者さんが読むことも踏まえて書きたい僕。
 
やはり数字を意識しすぎてしまうのはよくない気がする。書いていて楽しくないと思うから。どうにかいい感じのところを自分の中で見つけたいなと思いました。

【なんで?】 ビッグウェーブに乗ってマイPCをWindows10にアップグレードしようとしたらPCが上手く動いてくれない

本当になんで?信じられなくないですか。
 
 

昼くらいにぼーっとネットをしていたら

 
 
こんな記事があった。

kajimo.hatenablog.com

 
そういえば僕も前にアップグレードの申請?みたいなのをしたなあとそこで思い出した。見てみるとWindows10のアイコンがいたので叩いてみるとアップグレードできるとのことだったので、5才児のようにワクワクしながら、アップグレード開始。
 
 
この瞬間に、今日の記事はWindows10にアップグレードした報告と使ってみた感想にしよう!と決定していた(笑)。
 
PCがアップグレードするまでやはり時間が少しかかるようだったので、本を読みながら待つことにした。いつ完了するかが気になったので、文字を追いながらも周辺視野でPCを捉えたりしていた。そんな感じで1時間半くらい経ち、ついにアップグレードが完了したのでPCを起動させてログイン!デスクトップの画面が表示され、喜んだのも束の間でした。
 
あれ...
 
 
画面が点滅してるゾ.... 
 
マイPCくんが上手く対応できなかったらしく、画面が3秒に1回くらいのペースで消えて真っ黒になる現象が起きた。1回強制終了してから起動してみてもPCくんは頑なに点滅を繰り返します。しばらく放置してみても変わる気配もない。(ヤバい‼︎)ただ点滅するだけならいいのだけれど、PCのマウスポインタが待機中のグルグルの表示のままで何の操作もできない。
 
もともと3年以上前に購入したもので最近は処理のスピードが遅くなっていた。だからWindows10なんていれたらもうどうしようもないくらい処理仕切れなかったのか。「俺にこんなことさせるな!」というPCの全力の抗議にも思えてきてしまった。
 
 
しかし、なんでできなかったんだろう?こんな事態になるなんて全く考えなかった。
 
調べてみたところ、僕のPCはWin10アップグレードの案内は出るが対応している機種ではないらしい。アップグレードの案内はWin7,8のユーザーに届きます。しかし、少し昔に発売された一部のPCはアップグレードに対応していないのです。僕のPCは富士通のライフブックの11年発売のモデルなのだが、アップグレード対応機種は2012年10月以降に発売されたものに限られるらしいです。
 

azby.fmworld.net

 
ちゃんと確認すればよかったとも思います。でも、騙された感覚を消せない。なんか違うよ。案内が来たらアップグレードできるものだという認識になってしまうのは仕方ないことで、そこで「いや待て、アップグレードの案内が来てるけど対応してない可能性も排除できない」とか考えることは、普通の感覚を持っていたらできないと思うんですよね。
 
しょうがないんで修理に出して、しばらくはiPadminiを持ってるんでそれで凌ごうと思います。Windows10へのアップグレードは、自分のPCが対応機種かどうかを確認したほうがよさそうですね。
 
 
 
 

脱学歴社会

就職活動なんてものをやっているとこんなことを考えてしまう。今日とある中小企業の面接があったのだが、そこでこんなことを聞かれた。

「こんな大学(僕の通っている大学は首都圏では名の通る大学である)行ってるのに何でウチみたいな普通の会社を選ぶの?もっと大手のところとか見たりしないの?」

 

確かに大企業というのは名前も通っていて、スケールもでかし、待遇も良い。そして何より安定している。だから人気だしそれがために企業は優秀な人物だけを採用することができる。結果的に大企業には優秀な人が集まりやすい傾向にあり、その中に入ってみたいという気持ちもないわけではない。

でも、厳しい競争を勝ち抜いて晴れてそういった大企業で働くことができたとしても、そこからさらに会社の中で成績やらポストやらを巡り競争を勝ち抜いていかないといけない。これを考えた時に僕は違うと思った。出世とかそういった面に関しての競争心が薄いのかそういった事を続けることができないと思ったのだ。

だから大きい企業を受けている周りの友人を見るとどこか凄いなあと感じてしまう。

 

中小企業が何の競争もない訳ではない。競争しないとバンバン潰れてしまうから何かしら手を打ち続けないといけない。でも社内の出世競争が大きい会社ほどではないと思う。それに任せられる仕事の範囲も比較的広いハズだ。

だから、大学のレベルに合わせたレベルの企業に行く必要性は必ずしもない。中小企業には中小企業の特徴があってそれが自分に合うかどうかだと思う。

 

なんか、中小企業の回し者みたいになってますがそういう者ではないです(笑)

 

学歴に見合った会社に行かないといけない、じゃないと人生終わる、なんてことないと思う。人生どうにかなるでしょ。逆にそういった他人が決めるものさしではかり続ける生き方自体楽しくないし疲れてしまうと思うのです。

ブログを始めるのに3か月もかかった理由についてあれこれ考える

昨日のエントリーで、ブログを始めようと思ってから実際に昨日記事を投稿するまでに3カ月というまあまあ長い期間があったと書いた。ブログなんて普通だったら思い立ったその日にでも始められるようなものだ。そこを3カ月もかけるなんて、自分でもゆめにも思わなかった。なんでこんなにも時間がかかったのか自分なりに考えてみることにしました。

 
1思いだけあって、どうしたらいいのかわからない
いざブログでも書いてみようかなんて思ってもどういう手順でどういう準備をすれば分からない。とりあえずブログ運営サイトを決めるべしということでアメーバとかFC2とかはてなとかをくらべた。どれにしようか迷った挙句最初はWordpressで書いてみようという決断をしていた。今となっては少し浅はかな考えだったと思うがブログやりながらプログラミングの知識をつけれるとか一石二鳥じゃん!とその時考えたのだ。ハウツー本も買って始めようとしたのだけど、サーバーやらなにやら難しい言葉が出てきたのに加えて、ブログを開設できるまでに少し時間がかかるらしい事を知って戦意喪失してしまった。
 
そのハウツー本は「だれでもこれを読めば始められますよー」というのを売りにしているものだったのだが僕にはできなかった。たぶん僕でもちゃんと読んでその通りに遂行することはできたのだろうけど、少し面倒くさく感じてしまったのである。
 
Wordpressを面倒に感じてしまった僕は結局、このはてなブログで始めることにした。すぐに始められるし操作もカンタンだ。昨日始めたばかりの僕が言うのも変かもしれないけど、編集もしやすい。文字をPCで打ってできたらポチッとすればもう公開されている。はてなブログにたどり着くまでに時間がかかったが、インターネットを通して自分が必要としている情報をつかまえる能力がまだ高くないから「どうしたらいいのか分からない」状態が続いていたのだろうか。うーん。
 
 
2 始める前に決めることが中々決められない
 始まる前に決めることってなんだよっ!と思った方もいると思いますが、idとかメールアドレスとかブログタイトルの事です。「そんなの適当でいいじゃん」とツッコミを入れたくなる人の気持ちもわかります。でも僕は適当にできない人間なのだ。
 
何かを始めるにあたって、どういったテーマコンセプト・どういった戦略で進めていくかというのを決めるのは重要だ。国でも企業でも事業計画やらを作っている。それに沿って具現化されていく。そういうのと同じように、自分で何かを始める時に最初に決める事は、その後続けていくに当たって軸としての意味合いを持つものなのだ。だから、ブログの中で自分の名前となりテーマとなるidやらタイトルについて慎重になってしまうのです。
 
だからといって、このブログタイトルとidが深い特別な意味を持ったものであるなんてことはないです。ただひたすら「これじゃないなー」というのを禅問答のように繰り返していた。
 
3 既にやっていることの方が優先順位が高くなる
当然と言えば当然だが生活習慣の中に新しいものを取り入れるより 現在の生活サイクルを維持する方が100倍ラクだ。新しいことをするために何をするべきか答えのないことについて考えを巡らせるのはアタマを使う。それよりはルーチンワークを消化する方が慣れている。それに加えて期限が迫っている事があるとどうしてもそちらのほうが優先順位が高くなってしまい、新しく何かをやろうと意気込むフリをしてみても後回しになってしまいがちである。
 
僕は現在4年制大学の4年生だ。4年と言えば、そう、シューカツ。僕はいわゆる就活生なのである。4年だからゼミもあるし、バイトもやっている。どこにでもいるような”大学生”だが、そんな人でも気を抜くと日課をこなすだけでいつの間にか1日が終わっているものである。ベッドのうえで、「今日もブログを始められなかった」と何度思ったことか。
 
 
新しいことを始めるのにはエネルギーが必要
ウダウダ書きましたが、何かを始めるってものすごいエネルギーがいるよなーってことです。僕はなかなか思い立ったが吉日ができない人間なので、ブログを書きはじめるが如きにドラマ1クール分を費やしてしまった。なんでもすぐ実行できる人が羨ましかったりする。一方で、エネルギーを費やしただけ価値が磨かれてる場合もあるから、そういった方向性で考えていこうと思う。
 
 
p.s.今日はブログっぽさを出すべく理由を箇条書きにしてまとめっぽいのも入れてみたけどなれない。構成ちゃんとできてるんだろうか。